タイという素晴らしい先進国を暮らすように旅してみる

タイ移住

かれこれタイに1週間滞在している。

溶け込むようにごく自然に暮らしている。

 

今回の滞在にはビジネス上の目的もあるが、一番の目的はバンコクに「住む」こと。

 

幸運なことに、僕には英国留学時代のクラスメートのタイ人がいる。

世界を旅しながら仕事をしている仲間が、偶然2人も同じ時期にバンコクにいる。

そして、新たなタイ人の友達もできた。

 

だから寂しさもなく、一方で焦りや力みもなく、自然体のままバンコクに身を置いている。

 

この国は素晴らしい。

 

満員電車に乗る時も、人を押し込むようなことはしない。

ある程度一杯になったところで、乗るのを諦め次の電車を待つ。

何のアナウンスもないのに、どの列も暗黙の了解のもと目の前の電車をやり過ごす。

 

人々は、手を合わせながら挨拶やお礼の言葉を言う。

タイ語独特の柔らかいリズムが気持ちを癒してくれる。

 

そこには滑らかなコミュニケーションが自然と生まれる。

どこに行っても、誰と話しても気分がいい。

 

勿論、完璧な国などない。

一部のタクシー運転手のようにタイにも残念な輩はいる。

しかし、それは日本とて同じこと。

 

僕が暮らすフィリピンとは次元が2つも3つも違う。

(でも、フィリピンは好きですよ)

 

そして、日本人に合う。

間違いなく、日本人ならタイに馴染む。

 

同じ仏教国だからか。

僕の両親は仏教徒だが、僕自身、積極的に信仰しているつもりはない。

宗教を聞かれると、いつも無宗教と答えているほどだ。

 

でも、タイにいると仏教徒で良かったと思う。

身勝手なものだ。

この穏やかさを共有し共感できるのは、根底にある仏教への信仰が大きく影響しているのだと感じざるを得ない。

 

そして、タイには一体感がある。

秩序がある。

 

タイはいま、前国王の一周忌を迎えようとしている。

ほとんどのタイ人が一様に黒い装いをしている。

そこには「個性」という言葉の濫用などなく、ごく当たり前のようにみなが同じような服装をしている。

 

タイ人は毎日2回動作を止める。

朝8時と夕方6時。

国中に国家が流れ、国と国王に敬意を表する。

 

素晴らしい習慣だ。

日本も見習うべきだ。

 

タイ人にとって国王の存在は絶体だ。

僕の英国留学時のクラスメートは、「私が尊敬する人」と言って、頻繁にフェースブックに国王の写真を投稿する。

前国王のプミポン国王の偉大さについて教えてくれたタイ人は彼だけではない。

 

タイは国王を中心に一つに纏まっている。

 

いつしか僕もプミポン国王を尊敬するようになった。

そして、国王を尊敬するタイ人を尊敬するようになった。

 

日本も、天皇や皇族に関する教育をもっと積極的に行うべきだ。

小学校で、正しい歴史と日本と天皇の偉大さを教えるべきだ。

こう言うと僕のことを、右翼だとか右寄りとか揶揄する人もいるが、そういう人に限って勉強不足だ。

彼らは正しい歴史を知らない。

 

今回の滞在でタイ語の学校に体験入学をした。

驚いたことに、若いタイ人の先生は流暢に日本語を話した。

 

タイ人の女性は、発言の最後に「か〜」という言葉を必ずつける。

か〜、と柔らかく伸ばす。

 

これについてのタイ人の先生の説明が秀逸だった。

 

か〜と最後に添えると言葉全体が優しくなりますよね。

 

僕はかれこれ10年英語を勉強しているが、こんなことを教わったことはない。

意味を伝えたり、意思疎通を図るといった機能面ばかりを重視してきた。

そんな僕にとって、この説明は予想外だった。

 

確かにタイ語の「リズム」は優しい。

実に耳に心地良い。

そして美しい。

タイ人の友人の一人は「メロディー」という言葉を使ってこのリズムを説明してくれた。

 

タイは食事も美味しい。

人々は基本静かで穏やかだ。

街の色調も落ち着いていて、日本人に合う。

 

この国に住まない理由はない。

だから、住む理由を自分で作ろうと思う。

 

勿論、ゼブという拠点を手放すつもりもない。

 

セブとバンコクの間には、そろそろ直行便ができる。

そうすれば、3時間で移動できる。

 

どちらかを選ぶ必要なんてない。

両方選べば良い。

 

タイ語をもっと勉強しよう。

そうすれば、もっとタイを好きになれるだろう。

 

この国は素晴らしい。

 

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